随想Ⅱ


装う、という言葉にはいくつかの意味がある。

一、 したく、準備をする。
二、 飾りをととのえる。
三、 ふりをする。見せかける。

ファッションにおける最大の効果は、三の”ふりをする、見せかける”ことだと思う。

こう書くととても上っ面な感じで、うわべを良くするのがファッションなのか、という誤解を招きやすいが、そうではない。こころに与えるちょっとした変化を楽しむことだと思う。人間は裸では外を歩けないので必ず何かを身に纏う。では何を纏うべきか、何を纏いたいのか、という命題が死ぬまで続くと言える(そこまで哲学したら疲れるけど)。毎日生活していく中で日々変化していくのが人間だから、その変化に装いも合わせてあげたら、とても楽しいと思う。

季節や気候の変化もすごく影響する。私は春になると薄手のトレンチコートが着たくなるし、春から夏に変わっていく初夏の風を感じたりすると、白やベージュ、淡いピンクなんかの100%コットンかシルクのシャツが着たくなる。真夏はやっぱり麻のもの。麻って夏以外の時期に着るとなんかミスマッチで、でも夏になると途端に輝きだすから、不思議。夏のファッションをこれだけ涼しげに、上品で素敵に見せてくれる素材もない。

初秋から冬にかけては何と言ってもツイード!素材に目がない。ツイードのジャケットやベスト、パンツを見ているだけでうっとり幸福になれる。というか、もう官能的な気分になるのです。自分が着るのももちろん好きだが、ツイードのジャケットといえばメンズファッション。どこかのテーラーで英国製のくすんだ色合いのツイード生地を使い、自分サイズにオーダーしたジャケットをちょっとクッタリさせた感じでゆるく着こなしている男性がいたら私、感涙します。

ウディ・アレンの70年代から80年代の作品では、登場人物がこれでもかとツイードファッションを着こなしてくれてて、観ていて嬉しくなる。なにより本人が一番着こなしてる。ツイードって難しいのは、着る人を選ぶところ。素材が地味だから普通の人が普通に着るとかなり老けてみえる。”中身”が問われちゃうんである。ウディ・アレンくらい強烈だと丁度いいのかな?

”ふりをする”といえば、私はその日の装いによって気分まで変わってしまう。スポーティな服装でキャップでも被っていれば少年のようにやんちゃな気分になるし、クラシカルなデザインのワンピースなどを着れば妙に奥ゆかしい気持ちになる。しかし相手によっては、会うごとに違うので驚くのだそう。また、久しぶりだったりすると時には近づいても気づかれなかったりする(それはどうかと…)カメレオンにでもなった気持ちです。

初夏の風が

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http://jp.youtube.com/watch?v=4mEncUlouXU&feature=related


浜辺ちかくの風は、もう初夏の匂いがした。

うえは、かなりゆるいノリの家庭用ビデオ撮影?みたいな雰囲気ですが…演奏に仰天。佇まいも、素敵。

ブラジルの有名なミュージシャン Arthur Verocai


http://www.faroutrecordings.com/buy/encore-2/

 

随想

ふと思う。

人間の生活は選択の連続で、歴史とは選択の過程である、と。

人は朝起きてからつねに何をするか、例えば「水を飲むのか」「シャワーを浴びるのか」「暫くボーっとするのか」など細かく選択してながら日々を生きている。

そういった日常の些細な選択の隙間に、時折自分の人生を決めてしまうほどの影響力をもつ重大な選択を迫られる瞬間がやってくる。大きな決断であっても予測できることもある。仕事関係のことであったり対人友人関係のことであったり、状況、流れの中で事前に予測がつき選択の重要性などが冷静に十分考慮できたうえでの決断である。

しかし、本当に大事なのは全く予測不可能な状況に追い込まれたときの選択にかかっていると思う。そこには、その人のそれまでの生き方、ものの見方、人間性などが瞬時にそれも嘘偽りなく出てしまうからだ。出てしまうだけではなく、そういったレベルの選択は後戻りややり直しのきく甘っちょろいものではないので、その後の運命を本質的に決定してしまうような気がする。

また、うまく言えないのだけれど、些細な日常の選択であってもその選択に対して”意識”が開いている人とそうでない人では大きな違いがあるように思う。意識が開いている人は人間の軸というか確固たるものの見方、ものとの関わりあい方、スタイルをもっていて、そういう人はどんなに過酷な状況に陥ってもブレることなく自己をコントロールできる。自分自身でいられる。逆に選択がただの選択でしかないと、表向きは自らの意志であるにも関わらず意志は働いてはおらず、逆説的に運命に取り込まれているだけにすぎないのではないか。

ここまで話についてこられる人って何人いるだろう…と思いながらも進める。まぁ、随想だし。

私たちは大人になればなるほど大事な選択をするにあたってデータ(資料・情報)に頼ることが多い。幾つかの選択肢があったとして、その選択肢の過去の情報や業績を、慎重に自分の今までの経験や考えを用いて判断していく。情報は何よりも失敗する確率を低くしてくれるし、裏づけもある。

しかし個人的に言えば、私は情報収集は好きだが情報に懐疑的でもある。もちろん情報の価値は認める。が、認めることと信じることは別である。本当に知りたい情報に関しては自分の目で確かめ確信を持って判断するまでは決断を下さない。保留にしておく。疑い深い性格だとかそういうことではなく、本来人間と言うのは自分の感覚以外に頼れるものはないような気がするからだ。自分にとって重要な選択であれば尚更直感に頼ることにしている。

”直感”や”第六感”というのは過去データもなければなんの裏づけもない。でも私はこの言葉はすごく大事だと思う。ここで言う直感は「勘に頼ったけど外れちゃった」的な危ういものではなく、失敗や後悔はありえないレベルの直感である。とても純粋に研ぎ澄まされた感覚である。人生との関わりあい方すべてに通じている。そういった直感は別に珍しくはなくてすべての人間に備わっている力だと思うけど、本人が自覚できるかどうかが鍵なんじゃないだろうか。

意志をもって運命と対峙していくのか、ただ運命に取り込まれていくのか。

日々、選択し生きていくうえで感覚が鈍らないように、常日頃からブレないように自分を保っていきたい。




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